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2004.08

 
お施餓鬼のこと

先月7月は、当庵で初めて小さな「お施餓鬼(おせがき)」をお勤めいたしました。(当日の様子をお念仏の会「記録ページ」に掲載しています)
お施餓鬼、とは文字通り「餓鬼」に施しを与える法会です。そして、その功徳をご先祖にふり向けます(回向=えこう、といいます)。「供養を通じて、餓鬼道に堕ちた霊を救う」という点では「お盆―盂蘭盆会(うらぼんえ)」と共通していますが、もともとは別の法要です。

お施餓鬼のもととなるお経では、お釈迦さまのお弟子である阿難尊者(アーナンダ)が主役です。
阿難尊者が独り森の中で瞑想しておりますと、そこに餓鬼が出てきます。その餓鬼が言うには、
「お前の命はあと3日である。命終わったあとは餓鬼の世界に生まれ、苦しむことになるぞ。」
「どうすれば助かるのか。」
と尋ねる阿難尊者に対して、餓鬼は阿難尊者が助かるための供養の仕方を教えます…。

一方、お盆のもととなるお経の主役は、仏弟子の目連尊者(モッガラーナ)。目連尊者は、餓鬼道に堕ちた母親を救うために、お釈迦さまの教えに従って出家僧たちに飲食を供養します。その功徳によって母は救われる、という物語です。

このように、お施餓鬼とお盆は別々の出典(お経)による法会なのです。ただ、先に書きましたように「供養を通じて、餓鬼を救い、その功徳を先祖に回向する」という点では共通しますので、混同されることがあります。お施餓鬼をお盆の季節に合わせて勤めるお寺も多いので、それも混同の一因となっています。

さて、「お施餓鬼(施餓鬼会)」です。
施しをするのは阿難尊者、仏弟子です。お釈迦さまの直弟子が、お釈迦さまの指導の下に餓鬼の霊に施しを与える、それがお施餓鬼です。ですから、施しを与える側は、仏弟子のレベルに達した人でなければならぬ、とは言わないまでも、少なくとも「餓鬼ではない」存在でなければなりません。
私たちは、はたして「餓鬼に施しをする施主」にふさわしい存在なのか―これは、よくよく考えてみるべき問題です。「お金が欲しい」「地位が欲しい」「異性が欲しい」「健康が欲しい」「スリムな身体が欲しい」「人々の注目が欲しい」「あれが欲しい」「これが欲しい」―でもそれが手に入らずに苦しんでいる、としたならば…。
中には無理からぬ欲求もあるでしょう。しかしひととき、これらの「欲」から離れ、「施しをして、功徳を積む」という経験をしてはいかがでしょうか。お施餓鬼はそのチャンスを頂く法会なのです。
菩提寺さまから「お施餓鬼」「施食会」のご案内を頂いた方は、これを良い機会と考え、是非ともご参加下さい。