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2007.06

 
生命ありがたし

今月も、『法句経』の中からよく知られた教えをご紹介いたします。

「やがて死すべきものの、いま生命あるはありがたし」(第182句)

この季節は、自然の生命が日々生き生きとしてまいります。庵の周囲でも、一雨ごとに樹々の緑は濃さを増し、鳥たちもさかんにさえずっています。羽虫やミミズなどもさかんに動き回り、中にはすぐに命を落としてしまうものもいます。
宇宙の中にあって、これほど豊かな生命に恵まれた場所はないでしょう。ひとたび地球の外に出ると、生命の痕跡を見つけることすら困難です。
生命の貴重さが理解できたとき、続いて次のような問いが起こります。
「この大切な生命を、如何に生きるべきか」
かく自問できるのは、地球上の多くの生命の中でもただ人間だけです。
冒頭の句には次のような文が続きます。

「すぐれた真理を耳にすることもかたく、
仏陀―目覚めたる人がこの世にあらわれることもまた、ありがたし」

人として生を受けるのはまことに稀有なことである。同じ人間に生まれたとしても仏教に出会うことは難しい。仏陀がこの世に現れることも、ほとんどあり得ないことである―。
あなたはせっかくこの貴重な生を受けたのであるから、正しい生き方を求めて仏陀の教えに耳を傾けるべきである、そのことをこの句は示しています。

生命尊し―それは単なる感慨、「生命礼讃」ではなく、ひとつの出発点です。そこから真理を求める旅がはじまるのです。

そして実際のところ、真の意味で生の尊さを感じることができるのは、目覚めたる方の教えに触れ、それに歓喜するときです。この歓喜がひとたび起こったならば、わたしたちは自分の生の意味を初めて理解し、この瞬間のためにこれまでのすべてがあったことを知ります。そして、この瞬間を導いたすべての条件に深い感謝を捧げることでしょう。それは、この生を産み育んだ親への感謝であったり、教えと出会うことになった偶然の機会への感謝であったり、あるいは苦しみの体験への感謝でさえあるかもしれません。

私たちの生命が貴重であると知り、この短い時間を生かして必ず仏の国へと行路を定め、目覚めたる人の真意をさとる日が来ますように――。
そして一人でも多くの人が、この道を往きますように。

「やがて死すべきものの、いま生命あるはありがたし」

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