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2008.05

 
身体はよく知っている

私ごとですが、昨年の4月に右足首を骨折しました。思いもよらぬギプス生活となり、しばらく不自由をしておりました。
あるときのこと、ふと目を閉じて骨折した右足首に意識を向けてみますと、大きな手でしっかりと足首をつかまれているような感じがします。さらに、「何か自分に伝えてくれることがあるかなあ」というふうに、その「大きな手」に尋ねてみるかのように注意を向けると、
「動くな!」
という声が聞こえる(ような気がしたのです。) なるほど、これは少し休みなさい、じっとしていなさいというメッセージか、と、そう思ったとたん、気が軽くなりました。
だからといって治療期間が短縮されたわけでもないのですが、静養中の心の持ちようが、ずいぶん楽になったものです。

あれから1年が経ち、右足はとうに全快しています。
しかし今年もまた4月に体調を崩し、今度は「気管支炎」と診断されました。体調とともに気分も低空飛行。どうなってしまったのだろう?─お腹がしぼんだような、気の抜けた感じがします。
そんなときに、ふと(また!)気づいたのです。

この3月で、私の「国内開教使」としての任期5年間が満了しました。(「林海庵住職」は引き続き勤めます)
実際の林海庵のスタートは5年よりもう少し前だったのですが、その後に、多くの方々のご尽力で宗門に開教使制度ができて、私は第1期生の1人になった、というわけです。
振り返るとこの5年間、常に「自分は浄土宗の開教使」という意識がありました。大げさにいえば24時間、365日です。宗門等から助成金や貸付金を頂きながらの活動ですから、これは全国の浄土宗寺院、ひいてはその檀信徒の方々から頂いたご支援の上に、今の林海庵が成り立っている、ということを意味します。
そういう張りつめた意識で5年間やって参りましたので、「開教使」という肩書きが取れたとたん、ふっと自分の気が抜けてしまったことに気づきました。調子を崩すのも当たり前です。
「ははあ、なるほどそういうことか。」
そのように自分自身の不調をとらえ直すことができたときに、急に気分が明るくなり、力が湧いてきたのです。
さて、この辺でいったん仕切り直し─これからはどういう気構えでやっていこうか。そのアイデアも、少しずつ浮かび始めました。

脳味噌とは別に、身体の方は独自の知恵をもっているようです。苦を通して、私に大切な気づきを届けてくれています。

先人は、泥中に咲く蓮華を、煩悩の世界から覚りの花を咲かせることに譬えました。 私の場合、覚りにはほど遠いですが、身体からやってくる知恵もまた、大事にしたいと思います。