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2009.02

 
法然上人の物語 (上)

比叡山に登った法然上人の胸の内には、いつも二つの問題が巡っておりました。それは他でもありません、亡き父の遺言でした。
「父上は、私が9才のときに、不慮の死を遂げられた。あの晩のことは今でもはっきりと覚えている。突然襲ってきた軍勢に囲まれ、父上は私の目の前で大きな痛手を負った。臨終の床で父上はこう言われた。
『息子よ。父を襲った者を恨むではないぞ。そなたがこの仇を討ったならば、今度はそなたが恨まれる番だ。お互いに仇討ちが続いて、血で血を洗う闘いはいつまでも終わることがないであろう。
よいか。そなたは出家して、わが菩提をとむらうのだ。そして、そなた自らも解脱を求めなさい。』
そう言って父上は亡くなられた。私はあまりのショックに、涙も出なかった。
その後こうして仏教を学んできたが、最高の学問所であるここ比叡山に来ても、あのときの父上の言葉を思わない日は一日もなかった。なぜなら、あの父の言葉が、私の日々の学問の根底にあるからなのだ。
父上はこう言われた。
『わが菩提をとむらうのだ。』
さて、父の菩提をとむらう、とはどういうことなのだろうか。すでに亡くなった人を覚りに導く方法というのはあるのだろうか。これが第一の問題だ。
父上は、こうも言われた。
『そなた自らも解脱を求めなさい。』
これが第二の問題だ。確かに仏典を学んでいくと、覚りに至る様々な道が説かれている。お釈迦さまのみ教えの深さには、目を見張るばかりだ。
だが、しかし…実際にお経に説かれたとおりに修行し、覚りをひらいた人を私は知らない。そのような人がはたして、今、この時代にいるのだろうか。
お経について詳しく学んだ人はいる。私自身も、誰にも負けぬくらい勉強してきた。仏教について何か尋ねられれば、大抵のことには答えられるだろう。だが、私は未だ解脱しているわけではない。
また、何かの能力に特に優れた人や、知識や経験が人並みはずれて豊かな人はいる。だが、覚りとは、解脱とは、そうしたこととはまったく別のものではないのか。このまま学問を続けて、覚りにいたることなどできるのだろうか。」
これが、若き法然上人の悩みでした。亡き父の遺言─それを果たすために仏教という道を選んだのですが、一向に答えが見つからないのです。法然上人の苦悩は、それはそれは深いものでした。このままでは、父の魂も救われず、自分も救われません。父の死は、このまま無駄になってしまうのでしょうか。そして、故郷岡山に残してきた母のこと。母はもちろん、仏教について学んだことはありません。解脱や覚りのことなど思いもよらず、ただただ亡き父のために、そして私のために心から手を合わせる日々を送っているに違いありません。出家した身となっては、母に会って世間並の親孝行ができるはずもない。自分自身が救いの道を見いだすことだけが、唯一の母親孝行となるに違いありません。しかし、もしそれが─救いの道が見つからないとしたならば…そう考えるとあまりにも恐ろしく、胸が押しつぶされるような気持ちになるのでした。
法然上人は、まるで時間と競争するように、激しく探求を重ねました。

そんな法然上人の胸の内に、一つだけヒントがありました。(続く)■