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2009.12

 
三つの死

ある男が、この世の長い間のつとめを終えて、彼岸の世界へと旅立ちました。
長い間、と言いましたが、振り返ってみると、あっという間に過ぎ去ったようにも思えます。
男が道を進んでゆくと、あちら側の世界が近づいてくるのが何となく分かりました。
「一体どのようなところに行くのだろう。」
男の胸の内は、不安とそして期待が相半ばしていました。

さて、入り口らしきところにたどり着きました。
ふと見ると、門番のような人がいます。
どう挨拶して良いか分かりませんでしたが、
とりあえず「こんにちは」と言いました。
「こんにちは。」
挨拶が返ってきます。
「あなたは、これから死後の世界に入ってゆきます。」
門番は続いて言いました。
「あなたは、どのような死に方をしたのですか。」
「どのような、と言われても…年を取って、病気になって、入院して…何も特別な死に方をしたわけではありませんが。」
「私がお尋ねしたのは、そういうことではありません。」
門番の話が始まりました。

「さまざまな生き方があるのと同じように、
さまざまな逝き方、つまり死に方があります。
話を分かりやすくするために、3種類の死に方、3人の人の死についてお話ししましょう。

第一番目は、人生についての深い理解に達した人の死です。
彼の人は、人生を充分に生ききりました。生命のエッセンスに触れ、そこから得られる深い経験を存分に味わいました。もはや、何の悔いもありません。
再び生まれ変わってきて、今度はこういう人生を生きてやろう、という望みもありません。
心はすでにこちらの世界、あちらから言えば『彼岸の世界』に向いています。
『この人生で経験すべきことはすでに経験した。苦しいこともあったが、たくさんの出会いと悦び、深い学びを得ることができた。それは素晴らしい人生だった。これから先には、どのような素晴らしい世界が待っているのだろうか。』
彼の人は、穏やかな態度で彼岸の世界に心を寄せます。
彼の人にとって、肉体はもはや重要なものではありません。
それはこれまで、充分に働いてくれましたが、今や重荷となっています。肉体が衰え、自然な死を迎えることは、重荷から解き放たれることを意味します。それが、彼の人にとっての『死』なのです。」

「第二番目の死に方は…人生に翻弄され続けてきた人の死です。彼にとっては、人生は暗闇のようであり、また闘いの連続でした。目の前のことを追いかけ続けてきたので、ゆっくりと自分のことを考えたり、人生の貴重さについて思いを廻らせたりする暇など、持つことはありませんでした。
彼が考えていたのは、
いかにして欲しいものを手に入れるか。
いかにして嫌なことから逃げるか。
それがすべてでした。こうしたことはみな、自分の身体が元気であることが前提でしたので、その身体が働きを止める、というのが自分にとって一体どういうことなのか、それをどう考えたら良いのか、まったく分かりません。理解を超えた巨大な暗闇が、自分に襲いかかってくる─それが彼にとっての『死』でした。」

「さて、第三番目の人です。
この人は、仏さまに触れています。ときどきお寺に足を運んで、仏さまに手を合わせます。
といっても、第一番目の人のように、人生についての深い理解に達して、肉体の死でさえも歓迎する、というところまではいきません。なかなかそこまでは達観できません。
また、第二番目の人が思うように、死は『真っ暗で恐ろしいもの』というほどでもないかも知れない、と感じています。
そのときがくれば、そのときのこと。『お念仏を称えていれば、光り輝く仏の世界に導いて頂ける』という教えを聞くと、『そんなものかしら』と思って、勧められるままにお念仏を称えます。
難しい理屈はよく分かりませんが、
『あまり欲を出さず、足ることを知りなさい』
という教えを聞けば、『ああ、その通りだなあ』と思い、
『人さまを傷つけたり、嫌な思いをさせないように』
と言われれば、素直に『でき得れば、そうありたいものだ』
と願います。
死のことはよく分かりませんが、お念仏をお勤めすると気持ちが開けて、良い感じがします。
このような人が迎えるのが、三番目の死です。」

「さて、もう一度尋ねましょう。
あなたは、どのような死に方をしたのですか。」

男は考えました。
「自分は一番目の人のように悟りを開いているわけではないし…。
かといって、二番目の人のようでもないなあ。そりゃあ、若いときには日々の暮らしのことで精一杯だったけど、年を取ってからは少し気持ちにゆとりもできたし、お念仏も多少は称えたし…。三番目の人が近いかなあ。」

そして、こう答えました。
「はい。三番目の人が私に近いように思います。でもよく考えると、私にもずるいところや、計算高いところがあるので、三番目の人ほど素直じゃありません。また、傷つけると分かっているのに、人にひどい言葉を言ったこともあります。」

門番は少し考えてから、こう言いました。
「宜しい。あなたは正直です。正直に自分を振り返ることができる人は、仏の世界に招待されます。仏の世界では、あなたに新しい道が開けています。あなたは歓びと愛をもって、その道を歩んでゆくのです。さあ、進みなさい。」

そして、門番は男の名前を呼びました。
「えっ」
男は思わず門番の方を振り返ります。
その名前は、彼の本名ではなく、彼が幼いときに特別に仲が良かった友達がつけた呼び名だったのです。それは、二人しか知らない名前でした。

「君はもしや…?」
帽子のつばの奥を覗き込むと、そこにはニッコリとした笑顔がありました。それは、あの友達ではありませんでした。

帽子の奥にある門番の顔─それは、彼自身だったのです。■