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2010.02

 
苦しみについての教え(前)

仏教を学びたい、という若者が和尚さんのところにやって来ました。
「ほう、それは感心だね。で、今日はどういうことを聞きたいのかな。」
利発そうな顔をした若者は、和尚さんの言葉に安心して、早速こう尋ねました。
「お釈迦さまは、覚りを開かれた後、苦しみについての教えから説き起こされた、と伝えられています。これはどういうことでしょうか。人生は四苦八苦、苦しみに満ちている、と説かれたそうですが。」
和尚さんはニッコリすると、しばらくのあいだ遠くの方を眺め、そして話し始めました。
「そうだな。われわれ人間は、誰もが幸せになろうとしている。人によって、求める幸せの程度は違うだろうが、できるだけ不幸を避けて、幸せであることを皆が願っている。さて、君もそう思うかね。」
「ええ。その点ではどの人も皆、同じではないでしょうか。」
「うむ。だが、仏教ではそう考えないのだ。実際のところ、人々は幸せを求めるよりも、苦しみを握りしめている方を選ぶ。こう考える。」
「ええっ、まさか。一体どうしてそんなことが言えるのですか。幸せではなくて、わざわざ不幸の方を選ぶなんて…」
「そう、これにはちと説明がいるかも知れぬな。
君に、ひとつ物語を聞かせよう。」
こうして、和尚さんのお話が始まりました。

「あるところに、よく知られた大きなお寺があった。
境内には楓の樹がたくさん生えている。
お参りにきて、お寺の人に頼むと、木綿の風呂敷を貸してくれることになっていた。利休色の風呂敷で、大中小と三種類の大きさがある。
お参りに来た人々は、自分の苦しみをこの風呂敷に包んで、楓の樹の枝にくくりつけるのだ。苦しみや不幸の大きさによって、風呂敷の大きさを3種類から選ぶことができる、というわけだ。
しばしの間、肩の荷を下ろして、身も心も軽やかになって本堂にお参りできる。お参りが済んだら、また風呂敷をほどいて、不幸と苦しみを持って帰らなくてはならない。
だが、しばらくの間だけでも明るい気分になって仏さまに手を合わせられる、というので、この寺はいつもたいそうにぎわっていたそうな。

ある日のこと、本堂の横に大きな張り紙が出ていた。そこには、こう書いてある。
『本日は、特別な法要が勤められる。法要が終わったら、参拝の者は楓の樹から各々風呂敷包みをはずして、中のものを持ち帰るべし。但し、本日に限り、どの風呂敷包みでも自由に選んで持ち帰ることができる。』
張り紙の前は、黒山の人だかりだ。口々に、こう言い合っている。
『おい、見たか。帰りはどの風呂敷包みでもいいんだってさ。俺はいつも中くらいの大きさだが、今日は小さいやつを持って帰ってもいいってことだな。』
中には、こんなことを言っている人もいる。
『誰がどの包みを持って帰ったか分からないんだから、いっそのこと手ぶらで帰っちまったらどうだろう。ああ、苦しみがこれっぽっちもない人生か…こいつは夢のようだなあ』
さて、法要が始まった。お経が上がっている間、参拝の人々の顔はいずれも神妙な表情だったが、内心は決して落ち着いていなかった。法要が終わると人々は、われ先に、と本堂を飛び出して行った。
そして…どうなったと思うかね。」
「大混乱になったのではないでしょうか。だって、誰もが小さい風呂敷を取りたがるでしょう。」
「そうだ。大混乱になった。皆、われ先にと楓の樹に突進した。だが、混乱は初めのいっときだけだった。」
「といいますと?」
「みんな、自分が括りつけた風呂敷を取ろうとしたのだ。他人のものを取ろうとする者は一人もいなかった。」
「えっ、そんな馬鹿な…」
「お寺の境内では、こんな声が聞こえてきた。
『あれ、お前さんはさっき、小さい包みを取ってやろう、と言っていた人だね。』
『ああ。でもよくよく考えてみると、それはうまくないってことが分かったのさ。だって、どんなに小さな風呂敷包みだって、そこには誰のものとも知れない不幸や苦しみが入っている。それを持って帰って、慣れない苦しみに出くわすくらいなら、俺が長年つきあってきた苦しみの方が、ずっとましだ。何たって慣れているからね。どうにかこうにか、一緒にやって行けるのさ。お経を聞いている間にそれに気づいた、というわけだ。
だけど、そういうあんただってさっきは、手ぶらで帰っちまおう、とか何とか言っていたじゃないか。』
『そうなんだ。さっきはそう思っていたんだが、お経を聞きながら考えた。俺が樹にくくりつけた不幸っていうのは、俺の人生と分ち難く結びついているってことにさ。ちょっと想像してみたんだが、苦しみや不幸のない人生なんて、全く考えられない。ただ途方に暮れるだけだろう。だから、多少の不幸はあっても、今までの生き方の方がいいんじゃないか。そう思い直したってわけだ。』
『なんだ。だったら、俺と変わらないや。』
というわけで、誰もが自分が括りつけた風呂敷包みを取ろうとしていたのだ。
慣れ親しんだ苦しみや不幸…それはもはや人生の一部になってしまっていて、手放したくない、皆がそう思った。周りの人も自分と同じだ、と気づいてからは、混乱はすぐにおさまった。自分の風呂敷包みが誰かに持って行かれる…その心配がなくなったわけだからね。」

若者は考え込んでしまいました。
「そうか…そうすると、さっき和尚さんが言ったように、『人々は幸せを求めるよりも、苦しみを握りしめている方を選ぶ』ということになるのかな。」

和尚さんはじっと若者の顔をみつめたあと、こう言いました。
「自分では、幸せでいたいと思っているつもりかもしれんが、少し奥を探ってみると、不幸や苦しみを握っていて手放さない。人間にはそんな奇妙なところがあるんだよ。」

「そして…この話には続きがあるんだ――」■

来月につづく)