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2010.03

 
苦しみについての教え(後)

(先月よりつづく)

「そして…この話には続きがあるんだ。」
和尚さんは、また話し始めました。

「人々がそれぞれ、自分の風呂敷包みの中身をもって行くと、境内は大分すいてきた。ふと気がつくと、たいそう大きな風呂敷包みを樹の枝から下ろしている人がいる。高齢のおじいさんで、汗びっしょり─とても苦労している様子だった。さきほどの二人の男たちがそれに気づいて、手を貸すことになった。
『いやいやおじいさん、随分とでかい包みだね。ずっしりと重たいや。長い人生、さぞかしご苦労が多かったんだろうねえ。』
おじいさんは返事をせずに、大切そうに荷物を下ろすと、地面に置いた。そして今度は杖をつきながら、スタスタどこかへ行ってしまった。
『まあ、お年寄りを大切にするのは当たり前のことだけど、礼くらい言ってもよさそうなもんだが。』
『うん、そうだな。』
『さて、どうしたものだろう、この荷物。あのおじいさん、帰ってくるまでこれを見張っとけ、っていうことかな。』
そこへ寺の人が通りかかったので、特大の風呂敷包みを指差しながら、聞いてみた。
『この持ち主のおじいさんのこと、知っているかい。』
『ああ、もちろん。この寺のご本尊の仏さまだよ。』
『ええっ。』
二人は仰天した。
『まあ、気がつかないのも無理はないさ。本堂では、金箔の仏具に囲まれて、一番奥の方に坐っておられるので、お顔もよく見えないからね。』
『ちょっと待ってくれ。仏さまともなれば、煩悩も何もないだろうに。一体どうしてあんなにたくさんの苦しみを背負っているのかい。』
『うん。じゃあ、ちょっとこっちに来てご覧。』
寺の人に案内されて歩いてゆくと、さきほどのおじいさんが樹に残っている別の風呂敷をほどいているところだった。
『ご本尊さまは、ああやって取り残された包みをほどいて、その中身をご自分で背負っておられるのさ。だからご自分の風呂敷があんなに大きいんだ。
これだけ人が集まってくると、中には自分の苦しみをかかえきれなくて、そっと置いて行く人も出てくる。だけど、その苦しみにはその人の人生が詰まっている。だから、粗末にはできない。ご本尊さまはそれでああやって、ひとつずつ人々の苦しみを集めて回っているのさ。』
そう言われても、ちょっと見ただけではとても仏さまには見えない。ごく普通のおじいさんが、残った風呂敷包みを集めているようにしか見えなかった。だがよく見ると、その包みをとても丁寧に扱っている。しばらく外側からじっくり観察して、それからゆっくりゆっくり、結び目をほどいて樹から下ろす。包みが揺れたり、樹の枝にぶつかったりしないように…まるで中に鶏の卵がたくさん入っているような慎重さだ。
男たちはぼうっとして、しばらくの間見つめていた。言葉には出さなかったが、めいめいにこう思っていた。
『俺は今まで、自分の人生のことしか頭になかった。だがああやって、見ず知らずの他人様の人生や苦しみを、大切に思っている方もおられるんだなあ。…』
思わず目が潤み、自然に手が合わさってきたんだそうな。

さあて、今日のお話はこれでおしまい。
君も、本堂に上がって仏さまにお参りして行くかね。」■

―了― 

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