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2012.03

 
法然上人夢譚(むたん)(4)... 四人の独白

法然上人夢譚 (1)... 一弟子の夢物語
法然上人夢譚 (2)... 三人の独白
法然上人夢譚 (3)... 六人の独白

法然上人夢譚 (5)... 四人の独白
法然上人夢譚 (6)... 四人の独白
法然上人夢譚 (7)... 三人の独白
法然上人夢譚 (8)... 三人の独白

――「法然さまが私たちに言われることは、単純明快でした。それは完結していました。たった一つの事を、いろいろと言葉を変えて語られるだけなのです。
その一方で、法然上人その人を理解しようと思うと、途方に暮れました。あまりにも深く、あまりにも広大で、私たちの理解を超えていました。それは立居振る舞い―ちょっとした仕草や、目の輝きや、お声の調子に現れているのです。いや、法然さまの巨大な存在そのものが、言葉を超えた何かを私たちに伝えてくれている、と言うべきかもしれません。そばに居る人たちは皆そう感じていたと思います。
しかし、だからといって法然さまの存在と、その教えが別々であるかと言えば、決してそうではありませんでした。
それは喩えて言えば、山と大地のようでした。法然さまの存在は果てしない大地。そこからお言葉が、素朴な姿をした「山」のように立ち上がってくるのです。両者はしっかりとつながっていて、「山」の姿はどこからでも、誰にでもそのままに眺められるものでした。」

◇ ◆ ◇

――「突然息子を亡くした父親が、法然さまのところにやって来ました。
『極楽は本当にあるのか。』
その男が尋ねました。
法然さまは、その男の顔をじっと見ました。しばらくして、
『ある。だがお前の息子は別のところにいる。』
とおっしゃいました。
男はびっくりしたようすでしたが、やがて涙を流し始めました。
『やはりそうか。息子が苦しんでいるのがわしにも分かる…』
法然さまはお念仏の回向を勧められ、その男は納得して帰ってゆきました。」

◇ ◆ ◇

――「当時、いわゆる『取り巻き』の人々がたくさんいました。私は年が若いのでいつも末席におりました。なにしろ私は上人より40歳も年下なのですから。
実は、私の心のうちには、誰にも言えぬ深い悔恨があるのです。
私はかつて、一生、いや何生かかっても取り返しのつかない大罪を犯してしまいました。私が懺悔せねばならぬ相手はすでに亡くなっています。たとえ私が無間地獄に堕ちたとしても、この償いはできない―この溝は埋まらないのです。
上人のみ教えを聴いてはじめて、この苦しい心にも光が差し得ると知りました。私自身はどうなっても構いません。今生においても、来生においても…。
ただ一度だけ、どうしても懺悔の気持ちを相手に伝えたい。たった一度だけでよいのです。面と向かって彼の人に懺悔できる場が与えられたならば。その後はどうなっても構いません。地獄でもどこでも悦んで参ります。
西方浄土であればその願いが叶う―弥陀如来のお力についてゆけば、かの地で相手に会い、懺悔ができるのです。それが分かりました。上人と出会い、愚かなこの私にも希望があると知りました。
それ以来、上人の心と私は一直線につながっています。ずっとその思いで生きて参りました。

◇ ◆ ◇

――「いつも死に場所を探していました。
この世の中には、私の居場所はなかったのです。
亡霊のような顔をしていたと思います…法然さまの前に坐ったときは。
法然さまは、何もおっしゃいませんでした。私の話を軽く頷きながら聴くだけです。
しだいに私は、妙な感じがしてきました。自分の胸の中にある不気味な形をした黒い塊が、法然上人のお心の中にすっぽり入り、そこでじわっと溶けてゆくような感じなのです。そのときの事は忘れられません。
噂で聞いたようなお念仏の話は、何もなさいませんでした。」◆

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)

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