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2014.05

 
念仏しましょう

私が浄土宗僧侶になった理由は、法然上人を尊崇する心と、「お念仏」という誰でもできる修行の場の中で人々と関わりたいという気持ちをもったからです。
数えているわけではないので正確には分かりませんが、これまで10万人以上の方とご一緒にお念仏を称えました。それは職業として僧侶の道に進むことができたおかげです。そして「浄土宗」という伝統仏教の組織や檀信徒のつながりの中に身を置くことができたおかげ。一般人として「法然上人の教えは素晴らしい」と思うだけであれば、こうはゆかなかったことでしょう。

さて、皆さんとお念仏を称えるときには、このように声をおかけします。
「ここで、しばらくの間ご一緒にお念仏をお勤めしましょう。心をこめてご唱和下さい。」
あるいは、お念仏について説明を加えます。
「私たちはなぜ『なむあみだぶつ』と称えるのでしょうか。お念仏は、阿弥陀さまの呼びかけ―『わたしの名を呼びなさい。南無阿弥陀仏と称えなさい。そうすれば、必ず極楽世界に救いとってあげよう』という呼びかけに応えて称えるものなのです。『わたしの名を呼びなさい』『はい、分かりました。なむあみだぶつ』というわけです。さあ、ご一緒に称えましょう。」
4月のお念仏の会で、阿弥陀仏の「必ず救う」というお約束についてやや詳しくお話をしました。この約束、お誓いのことを本願といいます。(京都に本願寺という浄土真宗の大きなお寺がありますね。)
法然上人のご法語の中にこの本願をご説明されているところがありまして、そのお言葉をご紹介しました。ところがそのご法語には、たくさんの方が登場するのです。

  1. 世自在王(せじざいおう)如来
  2. 法蔵(ほうぞう)菩薩
  3. 阿弥陀如来
  4. お釈迦さま
  5. 善導大師
  6. 法然上人
お話はこうです。
かつて「1. 世自在王如来」という仏が世に現れ、この仏の弟子となった一人の修行者がいた。その修行者の名前は「2. 法蔵菩薩」。法蔵菩薩は48の誓願をたてた。そのうちの18番目はこのようなもの。
「わたしが仏となったあかつきには、誰でも十念する者は必ずそこへ入れるような仏国土を構えよう。もしそれが叶わないのであれば、わたしは仏になるまい。」
やがて法蔵菩薩は修行を積んで仏となる。その仏の名を「3. 阿弥陀如来」という。
以上のように「4. お釈迦さま」は説かれた。(『無量寿経』)
このお釈迦さまのみ教えに出てくる法蔵菩薩のことば「十念」を、中国は唐の時代、「5. 善導大師」という偉いお坊さまが「十念とは、南無阿弥陀仏と十回称えること」と解釈された。そして「法蔵菩薩の誓いは(仏となられた時点で)すでに実現している。念仏を称えれば必ず極楽世界に入れるのだ」と説かれた。
だから「念仏しなさい」と私「6. 法然上人」は説くのです。

このようなお話になります。6人のお名前が出てきます。法蔵菩薩はのちに阿弥陀如来になられるので同一のお方。それを考慮に入れても短いお話の中に5人の方々が登場します。ああ、ややこしい。

この法蔵菩薩の物語と善導大師の解釈は、浄土宗や浄土真宗の僧侶であれば誰でもよく知っている基本です。ところが、皆さんに言葉で説明するとなるとややこしくなります。「まあ理屈はいいですから、心を込めてご唱和しましょう。法然上人もそう教えておられます」となるわけです。

ここで述べたお話の先に、さらに教義と解釈の森が広がっています。私どももいっときはこうした「理屈」を学びますが、やはり第一の本質はお念仏の声、南無阿弥陀仏と称える声の中にあるのです。

皆さんもぜひ、林海庵のお念仏の会や写経会にご参加下さい。
大きな声でご一緒にお念仏いたしましょう。◆