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2014.12

 
煩悩

除夜の鐘の108という数は、人間の煩悩の数を表わすと言われています。
ある経文には、
「1人1日のうちに8億4千の念あり。念々のうちの所作、皆これ三途の業なり」
とあるそうです。
1日に8億4千とはまた法外な数字ですが、無数の思いが次から次へとわきおこってくるのが私たちの生きざま。その中でやることなすことすべて、三悪道の業である、というのです。なかなか厳しい話ですね。

それはさておき、次のような思いをお持ちの方はおられるでしょうか。

  • このことだけは誰にも言えない。(あるいは言いたくない。)棺桶まで持って行くつもりだ。
  • あのときの事を思い出すと、胸が苦しくなる。(痛む、はりさけそうだ…等々)いつまでたってもこの思いは消えない。消えるどころか強くなるようだ。
  • あのときの恨みは決して忘れることができない。できるものなら忘れたいところだが。
  • 人生の選択を間違えたのかもしれない。やり直しがきかないのは分かっているが、「道を間違えたのでは」という思いが消えることはない。
  • どうして自分はこのようなつらい境遇に生まれたのだろうか。周りの人が皆、幸せそうに見える。自分だけが暗い穴の底に落ち込んでいるようだ。
  • 自分のしでかしたことは、絶対に取り返しがつかない。
浄土宗では「煩悩具足の凡夫が往生する」と言います。これはすなわち、「これらのどうにもならない思いを抱えたまま、極楽世界に往くことができる」ということに外なりません。普通であれば、これらの思いは業となってさらなる悪しき連鎖を呼ぶわけですが、念仏によってこれらの煩悩を抱えたまま極楽という仏国土に往くことができる。かの世界でやっとこれらの思いから自由になることができる。ここが肝心なところです。
ここのところをよく考えて頂ければ、浄土往生を願う、という心情をご理解頂けるのではないでしょうか。一歩進めて「極楽に往生する主体は、これら諸々の煩悩である」と言ってもいいかもしれません。いわゆる悪人正機=悪人こそが救われる、というのも理解できましょう。

さあ、愛しき煩悩たちの往生を願って、お念仏を称えましょう。除夜の鐘を聞きながら…。◆