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Q&A 52

質問52

仏教
人には定められた運命というものがあって、いくら頑張ってもどうにもならない、と思うことがあります。仏教の考え方を教えて下さい
〈回答 52〉 ものごとは、決して独立して存在するものではありません。直接の原因があって、そしてさらに周辺の条件が整って、初めてものごとが生じてきます。
たとえば、私たちの存在... 私たちは両親を介してこの世に生まれてきます。両親が直接の原因、といえるでしょう。では、両親はどうして出会ったのでしょうか。なぜ、父親は他の女性でなく母親を選んだのでしょうか。母親はなぜ父親と結ばれることを選んだのでしょうか。その背景にはいろいろなことがあったはず。また、もし両親が健康に育たなければ、(どちらかが命を失っていれば)その出会いはなかったことでしょう。
さて、あなたはこの世に生まれてきました。これまでどういう経過をたどられましたか。あなたの身体を形作っているのはご両親ばかりではありません。あなたの食べた食べ物、水、空気、環境... 無数の条件が、今のあなたを形作っています。あなたの精神生活はいかがですか。あなた自身の体験、思索、友との出会い、いろいろな方々からの影響(テレビや映画の影響もあるでしょうね!)、... ここでも無数の条件が関わっています。
そしてまた、あなた自身もいろいろなものごとの原因となり、周辺の条件を作っています。ご両親が「親」であるのはあなたが「子」であるからです。あなたの周囲の方々があなたに大きな影響を与えているのと同じように、あなたもまた、周囲の方々や環境に大きな影響を与えています。一刻としてとどまることなく、この「相互依存の巨大かつ複雑なながれ」が続いています。これは、ものごとのありようの、客観的な真実のすがたといってよいでしょう。

さて、実人生ではときに「いくら頑張ってもどうにもならない」というふうに感じますね。「他人と過去は変えられない」といいますが、本当にその通り。また、自分を変えようと努力しても遅々として進歩しない、逆戻りしているようにさえ見える、ということもあるかもしれません。しかし、「相互依存の巨大かつ複雑なながれ」の中では、ひとつとして無意味なことはありません。無駄に消え去っていくものはありません。この「巨大なながれ」はいつも動いていて、しかもこのながれのある部分は、他の部分と関連しあっています。あなたが夜空の星を眺めているときは、夜空の星もあなたを眺めています。一輪の花に微笑みを送れば、その花も微笑みを返してくれるでしょう。

ですから、努力が無駄になることはありません。「すべては運命として定まっていて、努力することは虚しい」... 決してそうではありません。そうではないからこそ、「仏の教えにしたがって生きていこう」と努力する仏道が尊いものでありうるのです。