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Q&A 58

質問58

一般の相談
身体の病気で悩んでいます。「病気が治るから」と、ある宗教団体から勧誘を受けています。入信によって本当に病気が治るでしょうか?
〈回答 58〉 さぞおつらいことでしょう。お気持ちも弱っていらっしゃるかもしれませんね。
おっしゃるように、信仰をもつことによって病気が治る場合もあります。真に信仰に「目覚め」たならば、あなたは内的に統合され、大きな力が湧いてきます。いわゆる「免疫力」も増大することでしょう。重い病が治ることもあり得ます。
しかし、ここは注意していただきたいことなのですが、もし病気を治そうとして何かの信仰に入るならば、そこには大きな落とし穴があるかもしれません。何かの宗教に入信して、健康に加えて、財産、信用、人間関係、精神的自立といったものまで失うこともあります。また、「私は入信して病気が治った」という話を前面に出して勧誘する宗教は、「入信しても治らなかった」という話は絶対に出しません。その辺りのことは冷静に考えて下さい。そもそも信仰で病気が治るのであれば、人の病を治すために専門の医学教育を長期間受ける必要がどこにありましょうか。
また信仰に「取り引き」する気持ちがある——信仰と引きかえに、寄付やお布施と引きかえに健康を下さい、というのであれば、真の信仰とはかけはなれたものになってしまうでしょう。仏教は、(取り引きではない)信仰を大切にします。そして仏教は、生老病死の苦の克服を目指します。苦の克服を目指しますが、けっして「老いない」「病気にならない」「死なない」ことを教えるものではありません。人の肉体は必ず、老い、病み、死んでゆくもの…お釈迦さまとてその例外ではありませんでした。では、その肉体が老い、病み、死ぬという現実にどう向きあえばよいのか。それをどう受けとめればよいのか。大切なのはそこのところです。

「宿業(免れられない業(ごう))かぎりありて受くべからん病は、いかなる諸々の仏、神に祈るとも、それによるまじき事なり(効き目はない)。祈るによりて病もやみ、命ものぶる事あらば、たれかは一人として病み、死ぬる人あらん。
いわんや又、仏の御力は、念仏を信ずる者をば、『転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)』といいて、宿業限りありて重く受くべき病を、軽く受けさせたまう。いわんや、非業をはらい給わんこと、ましまさざらんや。
されば、念仏を信ずる人は、たといいかなる病を受くれども、皆これ宿業なり。これよりも重くこそ受くべきに、仏の御力にてこれほども受くるなりとこそは申す事なれ。我らが悪業深重なるを滅して、極楽に往生するほどの大事をすら遂げさせ給う。まして、この世にいくほどならぬ命を延べ、病をたすくる力、ましまさざらんやと申す事なり。」(法然上人)

仏の力は偉大であるから、免れ得る病は治して下さる。免れ得ない病は軽くして下さる。されば、念仏をとなえていて病になるなら、それはすべて免れ得ない病である。「仏の御力のお蔭でこれほどの症状で済んでいるのだ」と考え、いよいよ信心を深め、念仏に励みなさい——これが法然上人の教えです。