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Q&A 109

質問109

浄土宗
父が亡くなって、初めてわが家の宗派が浄土宗である、と知りました。お寺さんにいろいろ質問しても、「こうでなければいけない、ということはありません」と答えが返ってきます。浄土宗とは…と興味を持ち、本も借りてきて読みました。寓話集の中に、知恩院の本殿のふき残しの話を見つけました。完璧を求めず、適当にずぼらである、という話でした。
でも家族としては、愛する父に何かしてあげたいし、後で「知らなかった」と後悔したくない—そんな思いでおります。
お寺さんを身近に感じていきたいと、いろいろ教えて頂きたくて質問をするのですが、決まってこう答えられてしまうと、質問すること自体が恥ずかしい事のように思えてきます。
質問の仕方がいけないのでしょうか?どこでもそのようなお答えから始まるのでしょうか?教えてください。
〈回答 109〉 初めに、お悔やみを申し上げます。
お寺さんが「こうでなければいけない、ということはありません」とおっしゃるのですね。それは多分、「こうでなければいけない」と言うことで、仏事を難しいものだと思ってほしくない、という配慮だと思います。(私自身も同じように対応する場合があります。) 実際、仏事を構成する要素の多くの部分は、「仏教によればこうだ」「お釈迦さまはこのように教えられた」というよりも、習慣として伝えられたものが多いのです。ですから地域差があったり、時代によっても変わってくる。そうすると、「こうでなければならない」とも言えなくなってきます。
しかし、あなたのように「質問すること自体が恥ずかしい事のように思えてきます」ということであれば、たとえお寺さんが「仏事は決して難しくないのですよ。ご安心下さい。供養する心さえあれば、それで充分なのですよ」という気持ちで「こうでなければいけない、ということはないのですよ」と言って下さったとしても、あなたのお気持ちとはずれてきますね。

「具体的にどうしたらよいのか」を尋ねたいときには、思いきってこうおっしゃってみては如何ですか。
「そうおっしゃって下さるのはありがたいのですが、『それについては、こうしたらよいでしょう』と具体的に教えて下さいませんでしょうか。そのほうがかえって安心です。父に対しては、後悔の残らないように、きちっと仏事を勤めたいものですから。」
そうすれば、あなたのお気持ちがお寺さんに伝わるのではないでしょうか。