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Q&A 175

質問175

仏教, 宗教
 回答174で、「仏教では執着心やこだわりを嫌い…」とあります。私はむしろ、この執着しない(させない)ということを警戒しています。仏教系の新興宗教は、信心イコール「財産や人間関係、愛情に執着しないことだ」と説いて、信者から財産を巻き上げ、その人の人間関係をズタズタにしますよね。
私は執着を美徳と考えます。
僧侶の方々は、僧侶になることに執着したからこそ僧侶という職業についているのだと思いますし、不信心ものから見ますと、さとりを開くことに執着しているようにも見えます。私は、それらはすべて僧侶としての美徳であり、尊敬できることだと思っております。
かつてアメリカズカップというヨットレースで、カップを米国から失ったデニスコナーは、カップを奪還するために自分自身とチームメイトに徹底させたのは「勝つことに執着することに執着する」です。そしてデニスコナーはカップを奪還しました。これはなまなかことではありません。
執着という言葉に反応して面倒なメールを送ってしまってすみません。
〈回答 175〉 執着心は本来的にエゴと結びついたものですので、これを捨て去るというのが仏教の基本的な立場です。しかし、言うは易く、行なうは難し。執着を断ち切るというのは容易なことではありません。そこで、日常生活のレベルでは、自分の執着心に対してどういう態度で立ち向かってゆくかということが、実際的な問題になります。
私自身の経験から、いくつか例を取り上げてみましょう。
  1. 執着の対象を避ける。
    例:テレビを置くとつい見てしまうので、テレビを置かない。タバコを置かない。新聞を取らない。読書は好きだが、蔵書は最低限にとどめる。モノを減らす。
  2. 執着心を理解する。
    例:瞑想や、臨床心理学的なカウンセリングやワークショップを通して、自分に固有のくせやこだわり(コンプレックスに通ずる)を理解しようとする。
  3. 執着する。が、その過程と結果を公益のために捧げる。
    例:寺院活動に関するすべて。良いHPを作りたい、等々。
  4. 執着心を高次のものに向けることによって、低次の執着心から離れる。
    例:念仏信仰。(執着心から離れるために念仏をしているわけではありませんが、結果としてそうなってゆく)
このように、ひとくちに「執着」と言ってもいろいろです。特に気をつけるべき執着は、性急さを伴う、暗くて熱病的・暴力的なものです。

「私は執着を美徳と考えます。」
——人生のある時期に、「執着は美徳」と考えることは構いません。熟した果実は自然に落ちることができます。「執着」を成長への踏み台にすることができるでしょう。
しかし、いつまでも過去や勝ち負けに執着し、ものごとにこだわり続けてゆくと、偏狭で硬直した生になってしまいます。手放すことによって得られる自由や広がりがある、ということも心のどこかに留めておいて下さい。