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Q&A 149

質問149

仏教, 宗教
仏教関係の本が次から次へと出版され、また実際に売れています。かたや「仏教離れ」ということが言われ、(一部の観光寺院を除けば)お寺に足を運ぶ人は少なくなっています。どうしてでしょうか?
〈回答 149〉 いくつかのことが言えます。
まず、仏教に関心をもつ人は多いですが、それは「お寺」に結びついた関心ではない、ということ。
ある人々は、日常生活を生きる上でのヒントや、ものごとの考え方の基準を仏教書の中に求めます。しかし「お寺」はそういったこととは別の場—先祖供養の場であり、それ以上の役割をお寺には期待していない。だから、お寺に足を運ぶ人はなかなか増えません。
これについては、われわれお寺の側にも問題があります。一般の方々が仏教や寺院に何を期待しているか、ということをもっと知ろうとする努力が必要でしょう。(もちろん、先祖供養が大切だということも強調しておきたいのですが…どうぞ誤解なきようにお願いします)

また一方、いくらたくさん仏教書を読んでも、それだけでは「仏教徒である」ことになりません。本から学び、「これまでの私+α(=仏教の知識)」というスタンスで仏教に接して「それについては人より多少詳しいんです」と頭で思うだけであれば、かえって良くありません。
仏教が求めるのは、「これまでの私-(マイナス)α」です。仏に礼拝し、余計なものを手放していくことが仏教の修行。教えを学ぶことが修行や生き方にまで発展せず、読書体験が通勤電車の中やリビングルームのソファーの上だけの出来事で終わってしまうのであれば、推理小説を読むのとあまり変わりません。
せっかく仏教に触れるのであれば、寺院の本堂の荘厳に身を置き、良質のお香に身心を薫じ、実際に声を出して読経・念仏などをとなえ、仏さまを感じて下さい。その光明、聖なる沈黙の中に身を浸して下さい。やがて仏の光明があなたにも映り、あなたの「在りよう」や人間関係まで変化してくるでしょう。

仏教は「読むもの」「考えるもの」ではなく、「感じる」ものであり、「それ(仏教)を生きる」もの、「そのように在る」ものです。
私はそう思います。

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