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2007.12

 
「苦」の教え

お釈迦さまは「苦についての真理」からそのみ教えを説きおこされました。
存在はすべて、河のように流れている、その流れの中に「私のもの」と固定できるようなものは何もない。しかし私たちは「私が…」「私の…」という執着心に満ちているので、苦しみが消えることはない…。
そこにお釈迦さまは、自ら苦しみを超え、聖なる境地を示されました。

お釈迦さまの「覚り」は、ただ単に一個人の心の内側で起こったこと、ではありません。それは普遍性を持ち、過去現在未来という時の流れを超え、空間を超えて広がっているものです。
「一心に敬って 十方法界に常住する仏を 礼したてまつる」
このお覚りを、この上なく尊いものとして仰ぎ讃え、そこから流れ出る智慧、み教えを「真理」として崇敬することが、私たち仏教徒のありようです。
「一心に敬って 十方法界に常住する法を 礼したてまつる」
そのみ教えの出発点、それが苦についての真理を学ぶことです。言い換えれば、生死流転のただ中に自分がいる、と知ることです。
それは別に、難しい教義を勉強したり、いわゆる「スピリチュアル」な体験をすることではありません。実人生をしっかりと生き、客観的に自分を見つめ、本当の幸せとは何だろう、と考え求め続けてゆくことです。

誠実に人生を歩み、お釈迦さまのみ教えに触れるならば、聖なる境地への願い、聖なる世界への憧れが起こってきます。
しかし、実に不思議なことに、実際にこの憧れ─聖なる世界への渇仰心を追求する人は、決して多くはありません。易行道と言われますように、お念仏の教えは誰にでも開かれています。しかし、現実に極楽浄土=聖なる世界を目指して、その道を歩む人は少ないのです。たとえ一人でも二人でも、この道を大切に歩んで頂きたいと強く思います。

「生死、甚だ厭(いと)いがたく、
仏法、また欣(ねが)いがたし。
ともに金剛の志をおこして、
横に四流を超断すべし。(即座に欲・有・見・無明の四種の煩悩を断ち切るべし)
弥陀界に入らんと願じて、
帰依合掌し、礼したてまつれ」    (善導大師)