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2008.03

 
彼岸はいずこに

彼岸とは、彼の岸─覚りの世界のことです。
それに対する言葉は此岸、つまり迷いと苦しみに満ちたこちら側の世界です。

此の岸と彼の岸は、どのような関係にあるのでしょうか。
此の岸から眺めると、彼岸ははるかかなたです。
それは苦しみから解き放たれた理想の世界であり、生死を超えたところにあります。
その世界について、私たちは昔話などを通じていくぶんかを聞いたことはあるのですが、漠然としてしまって、よく分からない─たぶん川の上に靄(もや)が広がっているので、霞んでしまって向こう岸がよく見えないのでしょう。

一方、彼の岸から眺めると「此岸」はどう見えるのでしょうか。
それはおそらく、川の向こう岸ではありません。
むしろ、「下界」といった方が良いでしょう。
あたかも高層ビルの上階から地上を眺めるようなものです。
遠くにぼんやりと霞んで見えるようなものではなく、眼下にはっきりと見えるような世界です。
現代風に言えば、マイナス1次元(あるいはマイナス2、3次元?)の世界を眺めるような感じでありましょう。

「これより西方、十万億の仏土を過ぎて(一つの)世界あり、名づけて『極楽』という。」(『阿弥陀経』)
とは前者、すなわち煩悩と迷いのさなかにある私たちから、はるか彼方の仏の世界をのぞんだときのことです。
一方、釈尊が
「阿弥陀仏は、ここを去ること遠からざるところにまします。」(『観無量寿経』)
とおっしゃるときには、後者─彼の岸にいくぶん近い立場からのお言葉でありましょう。

いずれにしましても、浄土門は他力門。
「必ず導く」とおっしゃる阿弥陀仏のお約束には、万に一つの間違いもありません。
「遠くて遠からざる」彼岸に想いをいたし、お念仏に励むといたしましょう。