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2013.03

 
法然上人夢譚(むたん)(7)... 三人の独白

法然上人夢譚 (1)... 一弟子の夢物語
法然上人夢譚 (2)... 三人の独白
法然上人夢譚 (3)... 六人の独白
法然上人夢譚 (4)... 四人の独白
法然上人夢譚 (5)... 四人の独白
法然上人夢譚 (6)... 四人の独白

法然上人夢譚 (8)... 三人の独白

―― 私は弘法大師を心から尊敬しています。大師の著作は難解ですが、繰り返し読んでいると「自分は大日如来と同体である」という自信が湧いてくるのです。
法然さまのもとに通うようになってからも、私の中では弘法大師が一番でした。大師は三乗、華厳、法相、中観、法華涅槃と仏教の教えをすべて折り込んだ上で、最高の場所に密教を置かれます。それはまるで、巨大な織物―目にも鮮やかでこれまで見たこともないような美しい織物を眺めているうちに、自分がその巨大な織物に溶け込んで行くような感じなのです。

法然さまも、仏教の流れをすべて踏まえた上でお念仏を最高のものと教えられます。ひとつだけ違うのは、弘法大師はご自分の境地まで私たちをいざない、「理解」を求めるのに対して、法然さまは知的な理解をまったく求めないところです。知的な説明を欲しがる人にはそれを与えましたが、法然さまがそれを第一と考えていないのは明らかでした。

なぜ私は法然さまのもとへ通うのか―自分でもよく分かりません。多分どこかに自信をもてないところがあるのでしょう。

法然さまといると、とにかく安心するのです。

◇ ◆ ◇

―― 上人は時おり、私の私邸に来て下さいます。この日もそうでした。数刻にわたって浄土の法門についてお話を承りました。
庭をとおってお帰りになられるとき、私は有り難さに心を浸しながら、その後ろ姿を眺めておりました。そのとき、ハッとしたのです。
上人のお身体が地面から一尺ほど浮き上がっているではありませんか。そのみ足の元には時ならぬ蓮華が花開いています。一歩一歩と空中にみ足を進めるたびに、新たな蓮華が花を広げ、上人のみ足をふんわりと受け止めるのです。
呆然として眺め入るうちに、上人のお姿は池に渡した橋の上にさしかかりました。そのとき、上人の頭を中心として円い光が輝くのがはっきりと見えました。
私は息をのみ、釘付けになりました。次の瞬間には庭先に転げ落ち、地に伏して上人を拝していました。
その気配を感じられたのか、上人は私の方を振り返りました。
顔を上げると、上人は普通のお姿です。蓮華も、光も消えていました。

後で橋のたもとに行ってみると、青蓮華の花弁がひとひら落ちていました。夢ではなかったのです。
その花弁を今でも大切に持っています。

◇ ◆ ◇

―― 天台宗の若い僧侶がやってきました。
ちょうど法然さまはお出かけになるところでしたが、その僧侶は深く礼拝して、このように尋ねました。
「浄土の教えについてお尋ねいたします。上人の教えによれば、この世を穢れた世界と見て、死後の浄土往生を願いなさい、ということです。しかしそれでは、この現実の世界に立ち向かおうとする気力を失ってしまうことになりませんか。苦しい中でもこの世に生きなければならない人々に対しては、あの世での希望を与えるのではなく、まずはこの世に生きる力を与えるべきなのではありませんか。」
法然さまは、その僧侶の方をちらとご覧になりましたが、答えずにそのまま庵を後にされました。私は僧侶に、
「また尋ねておいで。そなたの疑問はきっと解けるから。」
と言って、帰しました。
数日すると、また同じ僧侶が訪ねてきました。
「先だっては失礼申し上げました。もう一度お尋ねいたします。この世を厭い、浄土を求めるという教えは、この世の現実に立ち向かうのを避けることにつながらないでしょうか。そこのところをお聞きしたいのです。」
言葉づかいは丁寧でしたが、顔色には苛立ちが現れていました。よほど思い詰めているのでしょう。
法然さまは、数珠を繰りながら念仏を続けられるばかりでした。若い僧侶はしばらく居りましたが、法然さまに相手にされないと悟ると座を立ち、肩を落として帰って行きました。
私は、「はて。どうして法然さまは、あの者の質問にお答えにならぬのだろう。先日はお出かけのご予定があったが、今日はそれはない。このようなことは初めてだが…」と思いました。しかし、法然さまにお考えがないはずはありません。黙っておりました。
また数日経って、彼の僧侶がやってきました。
「自分で答えを見つけよ―それが上人の教えと思い、あれこれと考えました。しかしどうにもなりません。三たびお尋ねいたします。死後のことを心配するよりも、世の乱れを静めることを考える方が先ではないでしょうか。この世の矛盾に眼をつぶり個人的に死後の救いを求めることは、利他行を旨とする菩薩の道に反することになりますまいか。」
法然さまは数珠の動きを止めて、暫く黙っておられました。
身体ごと若者の方に向き直ると、真直ぐに彼の眼に視線を注がれました。
「そなたが考えるほど人生は単純ではない。厭離穢土(えんり えど―この穢れた世界を厭い離れること)とは言っても、日がな床に伏したままで浄土往生を願うわけではない。病で伏しているのでない限り、朝になれば床から起き、顔を洗い、食事を摂り、日々の勤めに励むであろう。念仏を第一としながらも、自分の生活を組み立て、家族がいれば家族の面倒を見るであろう。念仏を第一としながらも、道に倒れた人を見れば、手を差し出して助け起こすであろう。念仏を第一としながらも、より平和な社会の中で生きようとするであろう。
ゆえに、このように理解しなさい。
浄土往生に心を留めることによって、まずそなたは、仏道修行についての煩いから解放される。なぜならば、この世において覚りを開かんと懸命になる必要がなくなるからだ。成仏は浄土に往生した後のこととして、今ここで煩う必要はなくなる。第二に、死の恐れから自由になるであろう。実際のところあるのは「往生」であって、死ではない。肉体の終わりとともに、仏国土で新しい生命が始まる。つまり、そなたの人生から死がなくなるのだ。
仏道成就―覚りについて煩うことがなくなり、死について恐れることがなくなる。それによって、人はより良く現実に向き合うことができる。
わたしが『人生は単純ではない』と言ったのはこのことだ。来生の救いに安心することによって、かえって現実に真直ぐ関わることができる。実際に浄土の教えに身を任せれば、そなたにも分かるであろう。」◆

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)