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2015.02

 
信仰とは

今回のイスラム国をめぐるニュースを見ながら考えさせられました。
信仰とは一体何でしょうか。それは人々を幸福にしてくれるのでしょうか。はたまた…。

ここでは三種類の信仰について書いてみます。

第一は、澄みわたった青空のような信仰です。この信仰心をもった人は、自分のことを客観的にみることができます。自らの信仰を最も大切にします。と同時に、他の方々の信仰も尊重します。自らの信仰が傷つけられることをきっぱりと拒否する一方で、他の方々の信仰を傷つけぬよう十分に注意を払います。
他の宗教や信仰からも学び、自らの信仰を深めてゆきます。やがて、すべての人の中に神仏(あるいは神仏へのつながり)を見いだすようになるかもしれません。
第二は、炎のように燃える信仰です。この信仰は人々を引きつける魅力にあふれています。が、一方では客観性を失って独善的に突き進んでしまう傾向があります。自分たちの信仰は正しいが他の信仰は誤っていると考えますので、他の信仰から学ぶことはありません。間違った信仰をもつ人を正しく導いてあげる必要がある、と考えます。これが進みますと、他の信仰をもつ人、われわれの「正しい」信仰を拒む人はどうなってもよいというふうになってしまいます。
また同じ信仰をもつ人どうしの間でも、おたがいの人間性を尊重するというよりもむしろ、何か別のもの(教団や教義、信者数、貢献度など)の方が尊重されがちです。
そして第三は、巌のようにどっしりとした信仰です。この信仰には歴史の重みと安定があります。わざわざ立ち上がって何かを求めて他の場所に出かけていくこともなく、その場で充足しています。平和ではありますが、閉じられた心になりがちで、排他的です。なぜそこにいるのかと問われれば「気がついたらここにいた」と答えるしかありません。

いまここに述べたことは、「ある宗教、ある信仰がこの三種のいずれかに分類されます」ということではありません。信仰者の内面的な態度についての話です。いずれの宗教、いずれの信仰にもこの三種の態度が内在していると思われます。

私たちを真の幸せと自由に導いてくれるのは青空のような信仰態度です。どの宗教宗派に属するかということよりもむしろ、どのような信仰態度をもつかということの方が重要です。
またここで用いた「信仰」という言葉を「価値観」という言葉に置き換えてみれば、宗教以外の分野、たとえば政治的、経済的、文化的価値観に関しても当てはまるのではないでしょうか。◆