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2004.10

 
なぜ浄土宗の教えを信じ、敬愛するか (1)

…というテーマをあげましたが、浄土宗のことをお話しする前に、私がなぜ仏教に帰依するのか、について話すべきですね。それで、(1)としました。
「仏教」という言葉は、私自身の中にさまざまなイメージや記憶、肌ざわり、思慕を喚起します。深遠な教え、香の香り、仏像などの荘厳、礼拝、鐘の音、僧侶たちの読経の声、厖大な経文…。
学生の頃には禅の本(専門書ではなく一般読者向けです)をよく読みました。「悟り」?「生死を超える」?…目の前に未知の世界、それでいて馴染みを感じるような深い世界が広がるのを覚えました。それをきっかけとして、宗教、特に仏教に関心をもちました。後にヨーガ、チベット仏教から浄土教へと関心が移ってゆきます。
今振り返ってみますと、日本に生まれ、その伝統や文化の中に育ったことで仏教に馴染みを感じている、という部分も大きい。私は寺の出身ではありませんが、それでも身体のどこかに仏教への親近感がしっかりと根を下ろしています。それはやはり日本の歴史、文化の中で育ったからでしょう…海外に行ったとき、特にそれを感じます。

というわけで、私が仏教に帰依するのは「仏教の本を読んで関心、共感を抱いた」ということと、「仏教と深いかかわりを持ってきたこの日本という国に生まれ育った」ということが響きあった結果です。さまざまな宗教を目の前に並べてみて、「これは良い」「これは良くない」と長所短所を知的に吟味した結果、仏教を選んだ、というのではありません。
またもう少し掘り下げますと、仏教の本や歴史・文化といったご縁はむしろ表面的なことであり、「はじめに仏縁ありき」なのかもしれません。日本に生まれ仏教書を読んだ人が、必ず仏教に帰依したり僧侶になったりするとも限りませんから…。実際に僧侶として活動しておりますと、そう思うときもあります。

仏教は、苦しみからの解放をめざす教えです。小さな「我」や「こだわり」を捨て、広々とした空間の中で慈悲心や智慧が自在にはたらくような境地を理想とします。その理想は、私自身に確固たる人生の指針を与えてくれます。
仏教徒たちはこの理想にしっかりと焦点を合わせ、長い歴史の中で信仰や修行を続けてきました。今現在も、その教えの泉から限りない恵みを受け取ることができます。
仏教に帰依する―それは私にとってとても自然で、ありがたいことなのです。

「千の言葉があったとしても、それが意味のない言葉であるなら、意味深い一句の方が優れている。その言葉は、それを聴くものに心の平安をもたらす。」
「人が生命を受けることは難しく、やがて死すべき者が今生命を保っているのは貴重なことである。正しい教えを耳にすることは難しく、仏が世に現れるのは貴重なことである。」 (ともに釈尊の言葉)

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