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2008.08

 
アーナンダの物語

お釈迦さまのお弟子の一人に、アーナンダという人がいます。
ある晩のこと、アーナンダは一人で森の中を歩いておりました。しばしば歩く道でしたが、たよりは星明かりだけですから、たいそう心細く感じておりました。
すると突然、バサッという音がして、前方に怪しい気配がします。よく見ると、アーナンダが歩いてゆこうとする方向に、何やら人間に似た生きものがいるではありませんか。髪の毛はボサボサ、手や足は、小枝のようにやせ細っていて、先端には長い爪が生えています。目のギョロッとした、まことに気味の悪い顔つきをしています。が、よく見ると親しげな微笑みを浮かべています。どうしてそこまで分かったかといいますと、この怪物は、口から絶えず青白い焔を出しているので、その光のせいで顔の表情までよく見えるのでした。
アーナンダは、あまりにも突然のことに、呆然と立ちすくんでしまいました。
すると、その怪物が口を開きます。
「アーナンダよ、どうしたのだ。そんなに驚かなくてもいいじゃないか。
俺は、おまえの心が生み出した生きものなのだ。一つ尋ねるが、お前は、つね日頃、食べもののことばかり考えておるだろう。」
アーナンダは答えました。
「私たち修行者は、決められた時間に食事をすることになっています。托鉢で頂いた一日分の食事を食べるだけで、あとの時間は修行に費やしているのです。」
「そんなことは分かっておるわい。わしの言っているのは、お前は托鉢に出かける前には『今日は充分な食べものを得られるだろうか』と心配しているだろう。食事が済んだあとも、『明日の食べものは大丈夫だろうか。何も食べられない、なんていうことにならないだろうか』と気に病んでおる。おまけに、こんなことも考えおるじゃろう。『お釈迦さまは反対なさるだろうが、倉を建てて、食べものを貯蔵しておいた方が、安心して修行に打ち込めるのではなかろうか』とかなんとか…」
「そ、そんなことは考えていない。そんな、お釈迦さまのみ心に反するようなことを私が考えるはずがないだろう。」
「ごまかしたってだめじゃ。最初に言っただろう。わしはお前の心から生まれたのじゃ。お前の心にないものは、わしの中にもないのじゃ。すべてはお見通し─そうそう、一つ忠告しておこう。お前のこの世の命が尽きるとき、そのときも今のように食べもののことばかり考えておるようじゃったら、お前は、次は飢えと渇きに苦しむ世界に生まれ変わることになるぞ。この世の最後に人の心をとらえるものが、のちに生まれ変わる世界を決めるのじゃ。そうじゃな、例えば夜、眠りにつく前に何か考えごとをしていたら、翌朝も一番にそのことが思い浮かんでくることがあるじゃろう。それと同じじゃ。あれが食べたい、これが食べられなかったらどうしよう、と食べもののことばかり考えて命を終えたら、飢えと渇きの世界で苦しむことになるのじゃ。それからもう一つ。お前のこの世における寿命は、あと3日だけじゃ。」
それだけ言うと、怪物は煙のように空気のなかに散って、消えてしまいました。

アーナンダは、すっかり考え込んでしまいます。なるほど、怪物の言っていたことも、まんざらでたらめではない。自分に対して正直になるならば、食べものへの執着は確かにとても強いものがある。倉を建てて食べものを保管しておいたらどうか、と思うこともあった。だが、私があと3日で死ぬなんて、そんなことがあるだろうか。身体の調子はとても良いのだが。でも、待てよ、お釈迦さまがいつも言われているように、死というものは突然やってくる。いつなんどき、何があるかわからないぞ。もし、飢えと乾きの世界が私を待っているとしたら、これまでの修行はすべて無駄になってしまう。ここは一つ、お釈迦さまのご指導を仰ぐことにしよう。

アーナンダは、お釈迦さまのもとに駆けつけました。
「お釈迦さま。かくかくしかじかのことがございました。私の心の中に食べものへの強い執着があるのは本当なのです。私はいかにすればよいのでしょうか。なにとぞご指導をお願いいたします。」
お釈迦さまは静かに、そしてかすかに微笑まれました。
「アーナンダよ、よく聞きなさい。そなたの肉体には食欲が起こる。それは自然なことだ。何も責められるべきところはない。食欲が起こり、食べることによって生命が保たれる。食欲は修行の敵であるとみて、極端な断食を行なうことは、自然ではない。私も若い時分にそのような修行を行なったが、それは自然に反するのであって、正しい道ではない、と悟った。また一方、食欲に溺れて、美味しいものを次から次へと追い求めたり、好物がいつでも好きなだけ食べられるようにしておく、というのも自然に反している。私の教えは『中道─真ん中の道を歩め』、つまりバランスが大切、というものだ。苦行に偏ったり、反対にものごとに溺れてしまったり、という両方の極端な態度をさけることによって、調和ある道を歩むことができるのだ。」
「それではお釈迦さま、私の心の底にあるこの執着を、どのように扱えばよいのでしょうか。」
「それに直接取り組もうとしないほうがよい。むしろ、方向を変えなさい。そなたと同じように、食べることへの執着にとらわれている者が大勢いるのだ。彼らに奉仕しなさい。食べものをたくさん集めて、かれらに供養しなさい。かれらの食欲を充分に満たしてあげなさい。とっておく、ということよりも、与えてゆくことを学びなさい。」
「分かりました。そのようにいたしたいと思います。しかし、私一人の力はわずかなものです。食べものをたくさん集めて、無数の者たちに供養する─そのような大それたことが、どうしてこの私にできましょうか。」
「心配せずともよい。わたしがそなたに力を授けよう。それは、ある真言だ。このように唱えなさい。
『帰命いたします、一切の如来と観音菩薩に。オーン、養いたまえ、養い満たしたまえ、フーン』
如来と観音菩薩を愛し敬う心がしっかりしていれば、それで充分だ。この真言を唱えれば、あとは何も心配いらない。そなたは充分すぎるほど多くの食べものを得られるであろう。」
アーナンダは、お釈迦さまのお言葉を一つひとつ胸に刻み付けるように聞いていました。少し間を置いて、再び尋ねます。
「飢えと渇きに苦しんでいる者たちに奉仕せよ、というみ教えは分かりました。彼らに供養することによって、私の執着心も和らいでゆくことでしょう。しかし、この真言によって、本当に尽きることなく食べものが得られるのでしょうか。もう食べものの心配はなくなるのでしょうか。」
お釈迦さまは、眉間に少ししわをお寄せになりました。
「アーナンダよ、まだ分からないかね。実際にはそれらはすでに、そなたに与えられているのだ。そなたがここにいる、ということ自体が、この世界の豊かさの現われなのだから。いいかな、よく考えてみなさい。そなたは昨日食べたもの、今日食べたものが自分を養ってくれている、と思っている。だが実際はそうではない。そなたの両親たち、先祖たちは計り知れないほど多くの食料を食べてきた。そればかりではない、大地や太陽の光、水や、着るものに住まうところ、樹々は豊かな緑に輝き、花々は見事に咲きあふれている─すでに、有り余るほどの豊かさがあって、その結果が、そなたという存在なのだ。それに気づきなさい。もう一度言おう。この世界には、すでに有り余るほどの豊かさがあり、その結果が、そなたという存在なのだ。
ゆえに、そなたがもの惜しみの心を起こして、何かを握りしめようとすれば、豊かさはそなたから逃げてゆくであろう。握りこぶしから空気が逃げてゆくように。だが、そなたが手放しになり、すべてに対して自分自身を開いてゆくならば、ありとあらゆる豊かさが手に入るのだ。人々に供養することも自然にできるであろう。」
お釈迦さまはこのように言われると、両手をもとのように組み、目を半ば閉じて、沈黙に入ってゆかれました。
アーナンダは深く礼拝をして、その場から離れました。

その後、アーナンダは大きな供養の集まりを開き、「あと3日」といわれた寿命も長く長く延ばすことができたそうです。

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