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2009.01

 
年頭にあたって

新たな年を迎えました。
本年も林海庵ならびに当サイトを宜しくお願いいたします。

元旦の修正会では、法要の中で次のような文を読み上げました。

「謹み敬って、ご本尊阿弥陀如来の宝前に伏し、恭しく観音菩薩、勢至菩薩等十方三世の諸仏諸菩薩を拝し、白して言さく。
われら、今ここに平成二十一年の元旦を迎える。本堂を荘厳し、香を焚き華(はな)を献じ、身も心も清らかにして、仏法僧三宝に帰依したてまつる。
思うにわれら、智慧のともしびから遥かに遠ざかり、長く覚りを得ることなし。その痛み言葉を以て言うこと能わず。
しかるに何の幸いぞや、受けがたき人の身を受け、大悲の本願にあいて往生浄土の素懐を遂げんとす。しかればすなわち、年改まるごとに覚りが近づくことを歓び、歳月代るごとに益々念仏の修行に励む。ここにおいて現前の衆生一同、一心にたなごころを合わせ、阿弥陀如来の宝号を称えて共に歓びの心を表わす。
請い願わくは、この功徳をもって天地ことごとく如来大悲の慈光を頂き、国豊かに民安くして四海とこしなえに平和ならしめ給わんことを。また願わくは我らを哀れみ護り給いて念仏修行に障りなきように。更に願わくは、有縁の現存者ことごとく楽を得て福寿無量ならんことを、また三界にある一切の諸精霊、苦を離れ浄土に往生して菩提増上せんことを。謹んで疏す。」

年改まるごとに、浄土往生が近づくことを歓ぶ─老いを嫌い、死を遠ざけんとする今日の風潮にあっては、なかなか理解しがたいことかも知れません。
この言葉の背景にあるのは、輪廻転生の苦しみからの解脱を理想とする、仏教の原点となる考え方です。

「生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、生の輪廻を超える。かれは再び生存を受けることがない。」(『スッタニパータ』)

「(聖なる四つの真理を知った者は)心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは輪廻を終わらしめることができる。かれらは生と老とを受けることがない。」(同)

しかし、ここに示されるように自ら執着を断ち、智慧をきわめて輪廻の絆から抜け出るのは容易なことではありません。
一方、阿弥陀如来のお導きに任せて、お念仏に励むことでしたら私たちにも充分可能です。

「衆生の生死を離るる道は、仏の御教え様々に候うといえども、 このごろの人の、三界をいで生死を離るる道は、 ただ往生極楽ばかりなり。」(法然上人)

「このたび生死を離るる道、浄土に生まるるに過ぎたるはなし。 浄土に生まるる行い、念仏に過ぎたるはなし。」(同)

本年も悦びの心をもって、共にお念仏の道を歩んで参りましょう。■

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