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2013.09

 
待つこと

宗教とは本質的に、「待つ」―いかに待機するか、という教えです。
ジャズ・スタンダードにもなった「いつか王子さまが」という歌があります。王子さまを待つ白雪姫の心境こそ、宗教の心である…こう言ったら驚かれるでしょうか。
そして浄土教こそ、まさしく「待つ」宗教です。
そのときを待つ。その瞬間は、肉体の命脈が尽きると同時に起こる―こう説かれます。
「舎利弗よ。阿弥陀仏についての教えを聞き、もし1日ないし7日、念仏を称えること一心不乱であったならば、その人の命が尽きるとき、阿弥陀仏は聖者たちとともにその姿を現わす。それを見た人はこころ動揺することなく、真直ぐに阿弥陀仏の覚りの世界へと導かれるのである。(『阿弥陀経』より)
釈尊のお言葉です。これは本当なのでしょうか。本当に私たちの臨終のときにそれが起こるのでしょうか。経験のないことなので、正直なところ何とも申せません。
ここで、私たちはこの教えの正しさにいわば「賭ける」ことになります。
ではなぜそうした賭け(言葉が良くないですが)が可能になるのでしょうか。
それには二つの理由があります。
第一の理由は、覚りを得ることの難しさです。この難しさは、数学の難問を解くというような難しさとは異なります。また、困難な登山に成功するということとも違います。むしろ、宝くじの一等にあたる、ということに近いのではないか―これも不謹慎な表現ですが、私はそのように思っています。
つまり、誰でも覚りを得る可能性を持っているが、実際に覚る人は極めて少ない。また覚りを得るというのも、当人の才能、能力や血のにじむような努力によるよりも、むしろ運によるところが大きい、ということです。あたかも宝くじは誰でも買えるが、一等にあたる人は極めて少ない、それも当選するのは才能や努力によるのではなく運による、というのと似ています。
覚りを得る「運」には良き師との出会い、良き教えとの出会い、ということも含まれます。しかし、いかによき教えと出会っても、それが個人的な宗教体験と結びつかなければ、覚りの世界に近づくことはできません。このタイミングはほとんど奇跡的偶然による(つまり説明不能)と言ってもよいと思います。
お釈迦さまは出家されてのち苦行6年、35歳で覚りを開いたと伝えられています。
自分もお釈迦さまと同じような修行を積んだとしよう、果たして6年間で覚りが開けるのか…いにしえの仏教徒たちもこの疑問を持ったに違いありません。ゆえに「いや、お釈迦さまは特別なお方だ。なぜなら前生にこのような徳を積まれたのだから」という物語がたくさん生まれました。特別なお方だったからこそわずか6年間の修行、35歳で覚りを開くことが可能だったのだ、自分たちと比べるなんてとんでもない、という説明です。そうした説明が必要とされるほど、類いまれなることがお釈迦さまに起こったわけです。
また、お釈迦さまは覚りを開かれたあと「このまま沈黙を保とう」と思われた、と伝えられています。神々の奨めがあったからこそ、沈黙を破って法輪を転ずる決心をなさいました。人々を教え導くことをいっとき躊躇されたのはなぜか。「起こるべからざること(覚り)が偶然に起こった」とお考えであったからではないか。ゆえに、人々を導くことの難しさ、無益さを感じられたのではないか。そのように想像するのです。
個人的才能や努力をはるかに超えた次元で「それ」が起こる。とするならば、この次元、私たちの日常的次元でいくら努力をしても覚りには遠く及びません。私たちができることは、覚りをつかもうと立ち上がって出かけて行くのではなく、今いる場所で自分の用意を整えて待つ、ということです。ゆえに「待つ」という選択に賭ける―それが浄土教です。
このように、覚りを得ることが極めて稀であるがゆえに、浄土の教えに賭ける。
さらにもう一つの理由は、いにしえの聖賢たちがこの道を支持しているからです。私どもに身近なところでは、わが国の法然上人。上人のお言葉や書簡として伝えられるものを読むと、このお方がただの人ではないということがよく分かります。感じられます。

月かげの いたらぬ里はなけれども
ながむる人の 心にぞすむ (法然上人)

「月かげ(月の光)」とは阿弥陀仏の光明のこと。このお歌は浄土宗の宗歌となっている有名なものです。法然上人は、阿弥陀仏の光明をご自身のみ心に直に感じ取っておられたに違いありません。仏の光明が法然上人のみ心を照らし、その光が上人の周囲の人々をも明るく照らす。そのような光景が思い浮かぶのです。
尊い教えは数多くありますが、今は法然上人のお導きに賭けます。すなわち「念仏する者を必ず導く」という仏のお言葉を第一として念仏を称えながら、そのときを待て。
「そのとき」とは、決して虚無的な「死」ではありません。阿弥陀仏の覚りの世界に真直ぐに飛翔してゆく「そのとき」です。そのとき私たちは、初めて見る光―法然上人が「月かげ」と読んだ―まばゆいばかりの光明に包まれることになるでしょう。

千とせふる 小松のもとをすみかにて
無量寿仏の 迎えをぞ待つ (法然上人)◆

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