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2016.01

 
「話を聴く」

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

 私は8年間の社会経験を経たのち、34歳のときに僧侶資格を頂きました。その後、仏教の専門的な勉強を続けるか、それともカウンセリングの勉強に進むか迷った末に、カウンセリングを学ぶことにしました。
 2年間にわたる研修を受け、いくつかの相談機関で電話相談を延べ10年以上受けました。中には自殺念慮をともなう深刻な相談や、そこまで深刻でなくとも対応の難しいケースがいくつもありました。
 まずは、相談者の話に耳をよく傾けます。何を訴えたいのか。どういう気持ちを分かってもらいたいのか。どういったところで迷っているのか。話を聴くためには根気や集中力が必要です。安易なアドバイスは禁物。相談者が何週間も、あるいは何年にもわたって悩み続けてきた問題です。私たちが思いつくような解決策はとっくに検討されているはず。アドバイスをするということは「その問題については、君よりも私の方がよく分かっているよ」と言うのと同じです。
 私たちは、相談者の頭上から眺めてその人を将棋の駒のように動かそうとするのではなく、横に並んで共に歩む、あるいは一歩下がってついて行くくらいがちょうど良いのです。
 相談を受けてゆくうちに、自分なりの基準が出来あがってきました。
 相談者に対応している自分自身の気持ちを眺めます。第一に、自分は温かい心をもって話を聴いているか。第二に、開かれた心をもって聴いているか。第三に、自由な心で聴けているか。第四に、肝っ玉を据えてそこにいるか。この4つです。これらをすべて満たすのは難しいのすが、それを目標とすることが自分のトレーニングになるわけです。またこれはそのまま仏教の修行にも通じます。
 私の対応がどの程度相談者の役に立ったかは分かりません。相談を受けているときに、「そうか。それでこんなに悩んでおられのか」と気づく瞬間があります。そのときには自分の心が開かれ目の前が明るくなります。そうしたときに相談者の心にも変化が起こる(であろう)。そうした時をたまに感じます。しかし、その後の相談者の人生が好転したかどうかまでは分からないのです。
 少なくとも、対応している間だけはベストを尽くす—そういうことだと思います。
 今でも寺の住職として、様々な相談にのらせて頂いています。◆

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