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2022.03

 
平和への祈り
笠原 泰淳 記(令和4年3月)

 日々ウクライナの危機的な状況、またそれに関連した世界経済の危機が伝えられています。
 ロシアによる攻撃の停止と、ウクライナの平和をひたすら祈るばかりです。

 釈尊晩年のときの、ある話を思い出しています。


 マガダ国の大臣が、釈尊のもとへ訪ねてきました。
「きみ、ゴータマよ。わが王アジャータサッツは、北隣にあり繁栄せる都市国家、ヴァッジ族を征服しようと計画しています。わが王は、これについて尊師がどう言われるか、お尋ねせよと申しております。」
 釈尊はそれには答えず、釈尊の後ろから扇をもって師をあおいでいるアーナンダに話しかけました。
「アーナンダよ。ヴァッジの人々はしばしば会議を開き、そこに多くの人々が集まる—そのように聞いているか。」
「はい、そのように聞いています。」
「それではアーナンダよ。彼らがしばしば会議を開き、そこに多くの人々が集まる間は彼らは繁栄し、衰亡することはないであろう。
 ではアーナンダよ。ヴァッジの人々は協同して集まり、協同して行動し、協同して為すべきことを為す—そのように聞いているか。」
「はい、そのように聞いています。」
「そうか。彼らが協同して集まり、協同して行動し、協同して為すべきことを為す間は彼らは繁栄し、衰亡することはないであろう。
 ではアーナンダよ。ヴァッジの人々は、昔からの掟に今でもよく従って暮らしているだろうか。」
「世尊よ。彼らは定められたことを破らず、ふるい掟によく従って暮らしていると聞いています。」
「アーナンダよ。そうであるならば、彼らは繁栄し、衰亡することはないであろう。
 さらに釈尊は問答を続けられます。
 ヴァッジの人々が古老を敬い、婦女子の保護に努め、祖廟を崇敬し、尊敬すべき修行者たちを大切にしているかどうかについてアーナンダに尋ねました。アーナンダはいずれの問いに対しても、そのように聞いています、と答えます。
「大臣よ。今言ったこの七つのことがヴァッジ族の間で守られている限りは、彼らは繁栄し、衰亡することはないであろう。」
 マガダ国の大臣はこう言いました。
「きみ、ゴータマよ。衰亡を招かないための条件の一つを具えているだけでも、ヴァッジの人々は繁栄し、衰亡することはないでしょう。まして7つすべてを具えていればなおさらです。」
 大臣は、釈尊とアーナンダの会話をアジャータサッツ王に報告します。
 王はヴァッジ族を征服することを断念しました。


 釈尊はこのとき、不殺生の教えや因果の道理を説いて王の進軍を諌めることはなさいませんでした。おそらく、それだけでは王の気持ちを翻すことはできなかったでしょう。また哲学的な話、超越的な真理を説くこともなさいません。その代わりに、共同体が繁栄し、衰亡しないための一般的、現実的な条件について教えたのです。
 価値観や考え方、利害が異なる人々や共同体がともに暮らして行かねばならない—この事情はお釈迦さまの時代から2500年経った現代でも変わりません。話し合いが尊ばれ、共にはたらくことが喜ばれ、定められた法が守られ、社会的弱者が大事にされ…そのような共同体は、その中にいる人々にとって大切な場、愛すべき場であるに違いありません。たとえ一時的に衰えることがあっても、長い目で見ればその共同体が衰微することはないでしょう。
 釈尊の教えの第一の目的は、大国の侵略行為を戒めるものであったでしょうが、さらに、その大国の政治にも大いなる示唆を与えるものでした。独裁者の横暴は、それが仮に一時的に勝利を収めることがあったとしても長続きすることはないであろう。このことを教えてくれています。
 これは国家レベルの話だけではありません。私たちの身近な小さな共同体—たとえば家族や会社、さまざまなグループ—についても言えることではないでしょうか。 ☸

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