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2022.09

 
戒名について
笠原 泰淳 記(令和4年9月)

「戒名とは何でしょう」
「戒名にはどのような意味があるのでしょうか」
「(亡くなったあとで)戒名を受けなければいけませんか」

 このようなご質問を頂くことがあります。
 戒名とは、もともとは僧侶を志望する者が、正式の仏教の儀式(授戒)を受け、仏弟子となった証として授かる出家の名前でした。仏教が広まるにつれて、出家ではない一般の仏教徒も戒名を受けるようになりました。この意味からすれば、生きているうちに戒名を受けて、仏教徒としての自覚をもって生活するのが本来の姿です。現に地方によって、また寺院によってはそれが普通のことになっています。一方で、「戒名といえば死後に授かるもの」と思っておられる方も多いのではないでしょうか。私どもの活動している東京多摩地域でも、たいていの場合は亡くなられた後で戒名をお授けしています。

 私たちの名前(俗名)は、私たちの身体がこの世に生まれたときに親から授かるものです。私たちの身体と同様、一生の間私たちがともに過ごす大切な個人固有のものです。しかし、やがて時が来て身体のお役が終わりということになりますと、俗名のお役も終わり。これから新しい道=仏道を歩まれるにあたり、故人の御霊に新しい名前、すなわち仏教の教えや願いを込めた仏弟子としての名前をお受け頂きます。これが戒名です。

 もし仮に、こう考えるといたしましょう。
「死んだらそれですべて終わりである。輪廻転生もないし、死後に仏弟子として新しい道を歩むこともない。あの世から子孫を見守ることもないし、見守ってもらったこともない」
 もしそうであれば、亡くなられたあとで戒名を受ける意味はありませんし、そもそも仏式のご葬儀を行なう必要もないでしょう。

 私どもの寺は開教寺院ですので、いろいろな形のご供養の依頼があります。中には「戒名は受けていないのですが、お経を上げて(回向して)下さい」というご依頼もたまにあるのです。「それ(戒名を受けないこと)が故人の望みでしたので」という方もおられます。

 戒名を受けないということは、正式の仏弟子になるのを拒むことを意味します。私ども供養の祈りを捧げる立場から申しますと、仏弟子になるのを拒む一方で仏さまに「救って下さい」と祈るのは、実感としてあまり良い供養だと感じられません。

 法事の主な目的は、亡くなられた方のご生前を想い、過去に向かって感謝の心やあるいは懺悔の心を捧げることだけではありません。特に浄土宗では死後の御霊の成長を説きます。法事を勤める主たる目的は、現在の御霊が安らかに仏道を歩まれることを願い、それをこちら側の世界から応援することです。過去の故人の記憶に対して心を向けるだけではなく、現在の御霊のために追善の誠を捧げる—これが亡き方を供養する大切な主旨なのです。過去のお名前(俗名)に対してではなく、現在のお名前(戒名)に対して祈りを捧げて初めて、この主旨にかなったご供養になるわけです。

 皆さんの中で、もしご自分やご家族に「戒名はいらない」と考えている方がおられましたら、是非ともご一考をお願いしたいと思います。☸

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