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2022.11

 
親子の縁
山田 隆治 記(令和4年11月)

 少子化社会になったと言われるようになってからかなりの年月が経ちます。結婚の平均年齢が上がり、生涯結婚せずに生きていく人も増えています。
 結婚して子どもを産み、幸せな家庭を築こうとしても思うようにいかない現実があるようです。共働きで二人とも働いていないとやっていくことが難しい。公的補助だけでは、出産、育児の費用が足りないなど厳しい現実があります。
 でも、やはり子どもはとても可愛い存在です。我が子に限らず、どの子を見ていても宝物という気がします。無邪気に遊んでいる姿、大きな声で走り回っている様子、泣いている時でも可愛さが溢れています。
 私が子どもの頃は、周りは子どもだらけでした。町中を走り回って転んで怪我をしたり、いたずらをして近所のおじさんおばさんに叱られたり、みんな遊び回っておりました。
 今考えると、地域全体が子どもに注意し、守り育ててくれていたような気がいたします。
 大森貝塚を発見したエドワード・モースは来日していた明治時代のことを『日本その日その日』という著書に次のように書いています。「日本は子どもの天国だ。日本ほど子どもが親切に取り扱われ、深い注意が払われている国はない。」「子どもたちはニコニコし、朝から晩まで幸福であるらしい。」社会全体が貧しい中でも子どもたちは大切に育てられていたようです。
 今でも子どものことを大切に考える思いは変わらずに残っていると思います。
 「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があります。赤ん坊が這い始めると親は1日も早く立つようにと願い、立つようになると今度は早く歩み始めることを願います。親が子どもにかける期待はいつの時代も変わらないでしょう。

 私たちと阿弥陀様の関係も親と子どものような間柄です。阿弥陀様はいつでも私たちのことを見守ってくださっています。私たちが迷わないように、間違った方向へ行かないように導いてくださいます。
 法然上人は善導大師のお言葉を引用して「私たちが阿弥陀様を礼拝すれば、阿弥陀様はこれをご覧になる。私たちが阿弥陀様のお名前を称えれば、それをお聞きになる。私たちが阿弥陀様を念ずれば、阿弥陀様も私たちのことをお念じになる。そのために阿弥陀様と私たちの心と体の働きが一致して、親子のようになる。」と言われました。
 念仏を称える口の働きと、阿弥陀様に対して手を合わせる身体の働き、阿弥陀様を心に憶う意識の働きがあります。この身・口・意の三つの働きが阿弥陀様と私たち念仏の行者との間で一致して、極めて親しい親子のような関係になるのです。
 阿弥陀様の光明は、あらゆる世界を照らして、念仏を称えるもの全てを一人もお見捨てになることなく、救い取ってくださいます。
 阿弥陀様はただ無条件に救いの手を差し伸べられるのではなく、私たちに「行」としてお念仏を称えることを科せられました。
 ただ甘やかすのではなく、救いを求める行動を起こさせることで、阿弥陀様との結びつきが強くなるのです。
 小さな子どもは親がいないとひとりでは生きていくことはできません。私たちも煩悩を抱え、悩み苦しみながら救いを求めています。阿弥陀様は、いつも私たちを見守りながら「我が名を呼べ。我が名を呼べ。」と手を差し伸べて下さっています。

 お念仏を称えることは子どもからお年寄りまで誰にでもできることです。この簡単なことで阿弥陀様と親子のような関係になることができます。
 いつでも私たちを見守って下さっている阿弥陀様のことを思い、感謝の気持ちでお念仏をお称えいたしましょう。☸

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