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2023.07

 
「縁(えにし)の手帖」
笠原 泰淳 記(令和5年7月)

 エンディングノートのことは多くの方がご存知でしょう。
 エンディング、つまり自分の人生の終わりに向けて家族や周囲の人に伝えておきたいことや、医療、介護、葬儀などの希望について書き記すノートです。
 聞くところでは「エンディングノート」というのは和製英語だそうで、20年ほど前からよく知られるようになりました。一時は書店に行くとさまざまなエンディングノートが並んだコーナーがありまして、その種類の多さに驚いたものです。
 手に取ってみますと、それぞれ一工夫があるもののおおむね似通った内容です。わざわざ買うほどのことでもない—当時はそう思いました。既製のものを参考にしながら初めて自分で書いてみたのが今から12年ほど前でした。
 両親のプロフィールから始めて自分の生い立ち、事務的なこと(自分の運転免許証や健康保険証の番号など)、僧侶としての経歴、医療・葬儀・墓所についての希望、また現在住職を務めておりますので寺の将来についての希望などを記してみました。
 エンディングノートは遺言書のような法的は力は持ちません。ですから書いた通りに必ず周囲の人が進めてくれるという保証はありません。ですが、遺された方のためには大変役立つものと思います。たとえば、いざ自分の葬儀となったときに誰に知らせればよいのか。本人が連絡先一覧を書いておけば、遺族としてはとても助かるに違いありません。

 浄土宗が『縁(えにし)の手帖』を発行したのは平成26年です。エンディングノートの浄土宗版というわけです。(色が緑色なので間違いやすいですが、「縁=えにし」です)
 私は当時、「これを檀信徒の皆さんに書いて頂くのは難しいかもしれない」と思ったものです。内容にはそれなりの工夫が凝らされているものの、寺院の側からエンディングノートへの記入を勧めるのは少し押し付けがましいように思われました。
 しばらくこの『縁の手帖』のことは忘れておりましたが、先日あるご葬儀の折に、ご遺族からこの『縁の手帖』を見せて頂きました。故人さまが数年前にこれを手にされ、少しずつ書き進められたとのことでした。ご家族への感謝の言葉が繰り返し記されており、とても感動的でした。
 それ以来、私の考えも変わりました。『縁の手帖』を檀信徒の皆さんに勧めてみるつもりになったのです。
 中には「最後のときはいつか必ず訪れるだろう。でも今はあまり考えたくない」という方もおられるでしょう。否、そういう方が大半かもしれません。しかしいざ体の具合が悪くなると、検査や治療、療養生活のことなど次々と予定が埋まったり決断をしなければならないことがたくさん出てくるなど、気持ちが落ち着かない日々が続くものです。元気な時に、落ち着いた気持ちで少しずつ書き進めておくほうが書きたいことが書けるというところがあります。
 ふと書いてみたくなる時が来る—そういうこともあります。まずはご両親のことなどを思い起こしながら、わが人生を振り返ってみてはいかがでしょうか。また家族や周囲の方に対する感謝の気持ちやお詫びの気持ちなど、もしかしたら面と向かっては言いにくい言葉もあるかもしれません。でもノートにでしたら書き記すことができるでしょう。趣味のことや生きていく上で大切にしてきたこと、もし座右の銘などがありましたらそれも書いてみると、自分の人生を「エンディング」の視点から改めて振り返ることができるのではないでしょうか。人生に残された貴重な時間を、何を大切にしてどういうふうに生きていこうかなどということも、新たな視点から見直すことができるかもしれません。

 いつか思い立ったときに少しずつ書いてみよう、ということでまったく良いのです—「そういえばどこかにエンディングノートがあったはず。書いてみようかな…」
 とりあえず手元に一冊置いておく、というのは如何でしょうか。☸

※どなたでも下記URLから購入することができます。林海庵檀信徒の方は当庵にお問い合わせ下さい。
https://press.jodo.or.jp/products/detail.php?product_id=295 (浄土宗出版のサイトに飛びます)

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