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2023.12

 
日蓮上人
笠原 泰淳 記(令和5年12月)

 海外の方からご質問を頂きました。私の回答も併せて掲載します。
質問:法然上人や念仏などについての日蓮上人の非常に攻撃的な言葉について、どう思いますか?

回答:あなたが仰っているのは、「念仏無間」に代表される日蓮上人の法然上人や浄土宗に対する批判と攻撃的な言葉のことだと思います。
 日蓮上人が活躍されていた時代は、上人は念仏信者たちから激しく弾圧を受け、また当時の政権からも危険視されていたと聞いています。他宗批判は、そのような当時の時代背景とそれを踏まえた上人の文脈から出た言葉だと理解していますので、現代に通じるような普遍性を私は感じません。
 私自身は、日蓮上人は法然上人の教えを批判的に研究した結果、心ならずもその影響を受けられたのではないかと想像しています。日蓮上人は庶民のために、「たとえ法華経の教えをよく理解できなくても、南無妙法蓮華経と称えればよろしい」という教えを説かれました。これはお念仏の教えととてもよく似ています。庶民の立場に立った、弱者を救済する教えを説かれた尊敬すべき宗教家だと思います。
 法然上人ご存命の当時には、念仏の信者たちが法華経の信者を弾圧するようなことまでは起こらなかったでしょう。また仮に日蓮上人が同時代におられたとしたら、念仏批判の立場は変わらなかったとしても、別の方法を取られたかもしれません。またもし法然上人が日蓮上人の批判を聞いておられたならば、そこから刺激を受けて日蓮上人の批判を踏まえたことを何か言われたかもしれませんね。

 ですからいずれにしても、時代の離れた現代において両者の教えを同時並列的にならべ、優劣を論ずることに意味はありません。それは現代における一つのパワーゲームにすぎず、法然上人の教えや日蓮上人の教えの真髄に触れるものではないと思います。したがって、私は日蓮上人のお言葉が浄土宗批判のために引用されるのを聞いても「ああ、また現代のパワーゲームか」と思うだけであって、特に関心や反論の気持ちは起こりません。また、今日の日本で日蓮宗の僧侶の方たちと話していても、このことについて特に議論は起こりません。
 私はむしろ法華経と浄土経典に共通する、大乗仏教の本質に関心があります。法華経と日蓮上人の教えを学ぶことの中で、それを理解することの重要性を知ったのです。

 法然上人と日蓮上人が私の考え方に同意して下さることを願います。
 南無阿弥陀仏🙏

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